
学生時代に流行りまくったデスノート。
と言ってももうあんまり原作を覚えてないレベルだけど、
過去最高に気合の入りまくった2.5次元ミュージカルは、
何としても見なきゃいけない気がしてた。
一言でまとめると、物騒なミュージカルでした。
(アラサー女子的にはスリルとかいうより物騒が先に来る)
以下、ケータイ掘り起し感想です。
最近常々思うのは、ビジュアルにしろストーリーにしろ、
完全にマンガやアニメをなぞることに何の意味があるんだろう、ということ。
キャストにビジュアルだけじゃなく声までアニメ通りに指定することもあるらしいけど、
本もマンガもテレビも映画も舞台も特性が違うし、
演じる人も違うから表現の仕方も変わるのは当たり前で、
各々の特性や個性に沿って作っただけなのにたたかれるとか、
逆にまるで原作のままという方が気持ち悪いと思うけどなぁ…。
というか、そういう方針で作られた、
漫画そっくりのイケメン集めてやればお客集まるんでしょ?儲かるんでしょ?という
何の裏打ちのないぺらっぺらの舞台は本当にむきー!なのだ!
(まぁ実際往々にしてお客さん入るんですけど…)
個人的には、舞台がないがしろにされてる気がして
けして許せぬ!(親の仇とるような勢いで)(そこまで思いつめんでも)
話それましたが、その意味では、
今回しっかり2.5次元ミュージカルの意味を果たしつつの舞台だったと思う。
思いの外よかった。
やっぱりネルケ系の2.5次元とは別モノなんだなー。
(黒執事しか見てないけど)
脚本も演出もしっかりとして、ちゃんと舞台作品になってた。
原作のエピソードにあるとはいえ、
2.5次元ミュージカルの先駆的存在のセラミュ タキシード仮面(浦井くん)が、
テニミュ最大の見せ場 エアテニスを別次元の巧さで魅せてるっていうのが皮肉的。
2.5次元の歴史を軽く超えていく感じがして面白かった。
ただ未完成であるのも確か。
ミサミサやレムの場面はもっとコンパクトになりそうだし、
月の家族はもっと効果的に使えるような。
スマホの画面をひたすらに繰る群衆とかは象徴的で良かったけど、
アンサンブルの使い方や、セットが単調に見えたり、
あと、芸達者なリュークでつないでる場面がかなり多いので、
そこがブラッシュアップされると、良作になる気がします。
冒頭の正義とは?からの始まりは演劇的で、ナンバーとしても盛り上がる。
《溢れかえる退屈の中で正義は遠すぎる。》のフレーズにドキッ。
わたしが子供の頃議論の的になってたバトルロワイヤルが懐かしい。
今やゲーム風の学園殺し合いモノは当たり前で、しかもそれが需要があって、
でも何も議論されなくて大人たちも喜んで受容してて。
例えば、あのえげつない『渇き。』が、
学割の宣伝してて、なんか変わったなと思った。
リュークに早々偶然だと否定されても、
デスノートが他の誰でもなく自分の元にやってきたのは必然で、
愚民である他者を先導すべきだ、という月の選民思想も、
極端なように見えて、実は今蔓延っていることなんだろうな、と思ったり。
Lも正義のヒーロー的なものではなく、あくまでもゲームの対戦相手としての月の対だし。
舞台上を、生気なくスマホを操る男女が行きかう。
議論の上に思想を立たせるより、ずっと易しい他者への追随。
RTやイイネとか。
結局、Lが望んだ新時代の神と信奉者の間柄ってそのレベルなんだろうな。
あっという間に広まってすぐに忘れ去られるような。
それでもみんな常に「絶対的」なものを探しつつ、
あるいは自らが絶対的なものになろうとし、
見つかるや否やまたインスタントに消費して、されて。
同じようにヘイトだって、RTやイイネのたった1つの動作で蔓延っていくわけで。
退屈すぎて正義が遠すぎるのは、
学校だけじゃなく、日本、そして世界も、な気がした。
月とLの頭脳合戦が前面に出ていた漫画版に比べて、
舞台版は、自己省察的に人間の「気持ち悪さ」が一番実感できる。
そして、ラスト、もがき苦しんで死んでいった月と、
何事もなかったかのように次のスリルを求めるリュークに深い無常感を。
冒頭からラストまでとっても演劇的。
リュークのように、月のように、退屈しのぎにスリルを求める。
本来スリルに意味はなくて、ただのゲームでしかないのだけれど、
そこに大義名分を貼り付けると、気持ち悪さ倍増。
でも最近のネットの動きやドローン事件も見てると、
「制裁」という意味でも「自己顕示」という意味でも、
ネットに晒すというアクションがはさまるから、
丑の刻まいりの密やかな呪い的なデスノート使ってる月が潔くさえ見えてくるのが怖い。
見せしめの制裁やヘイトが増殖する2015年の月はデスノートをどう扱うだろう。
ここは、
ドラマ版が巧く書くのかなぁ。
***
『ボンベイドリームス』で、浦井さんは真ん中の人ではない、と、思った。
そして今回、グランドミュージカルの人でもないんだな、と思った。
個人的に思ってるのは、井上君は演劇の人、育三郎はミュージカルの人。
そして、浦井君は2.5次元の人。
ビジュアル的にも声質、歌い方、芝居も、立ち姿も、
ムラがなく直線的で、何より普通の現代の日本男子的。
ミュージカルミュージカルしていないのが貴重。
「普通」だったはずの浦井月が、
1幕終わりからの暴走と過激な選民思想へ傾倒するのは、
ダークサイドへひた走るアナキンのような、気持ち良いくらいのぶっ飛びっぷり。
そして、
想像以上の気持ち悪さ。(褒めてます)
浦井君…どハマりしてる、この役。
浦井くんって、StraSでおバカキャラやってたりするけど、
実は暗くて、人との距離感が微妙に遠くて、心の奥底では何考えてるかわからない
…ようなイメージがわたしにはある。(オギーに気に入られてるのもそこなのかも)
そのイメージが、月にうまく重なってたなぁと思いました。
今まで見てきた浦井君の中で一番。
小池さんはメリリーの時同様やはり歌は弱い。
(たまにフラット気味になるのと、歌詞があまり伝わらない)
けど、Lへのなりきり感と元々の甘い声がマッチして、
ミステリアスな雰囲気が良く出てました。
何より美しいし、歌ももっと良くなる気配があるので、これからが楽しみ。
(
1789主演決まりましたねー!)
聴かせるソロが1、2幕それぞれにあり、
特に1幕の初登場のソロは、座ったまま仮設盆で回って登場。
背景にプロジェクションマッピングを使いながら、最後は歌い上げて、
背景から光が当たってシルエットのまま舞台後方へゆっくりはけていく
(周りにはアンサンブルの影が浮かんでてこれもまたゾクッとする)
という、超かっこいい出方をしていて、かなり盛り上がりました。
唯月ふうかちゃんは実質ヒロインのミサミサ。
出番も多く、とても頑張ってた。
一方可哀想なのが月の妹役の前島さん。
まったく見せ場がない上に、ふうかちゃんと同じようなアニメ声で、
ふうかちゃんの方がドヤ!な感じで歌えるので、
ここはせめて声質が全く違う人を当てた方がいいのに、と思った。
月の父 総一郎役の鹿賀さんは、
ラカージュより何言ってるかわかったけど、歌がとってもきつそう…。
うーん…。うーん…。
2人の死神、RJの愛と死のような2人。
レムは小池修一郎版トートみたいな風のロマンティックな役でもある。
リュークは真の主役で、人間のおごりと無力さを笑って見てる。
レムのはまめぐさんは人じゃない感たっぷりなので、よく合ってた。
ただソロ歌がバラードなので、はまめぐさんの本領発揮ではなかった。
バラードにはちょっとクセが強すぎるんだ、はまめぐさん。
リュークの鋼太郎さんはベストキャスティング!
この自在な芝居はミュージカル畑には貴重。
しかも驚いたのは
意外に歌えてる…!(はまめぐとハモっちゃったりする)
芝居味たっぷりで、ある意味芝居寄りの歌のお手本みたいな感じ。
テナルディエとかできちゃうかも。
ただ、成河さん@『十二夜』もそうだったように、
一人別次元のストレートプレイエネルギーで存在してるので、
周りと比べて高ぶりすぎてるかも。
あと、作品的に必要以上にリュークを狂言回し的に使ってて、
鋼太郎さんもアドリブをのっけすぎるので、前に出すぎかなと思った。
耳に残る楽曲で思わずCDを買いかけて踏みとどまった…。
月とLの歌なんかタカラヅカとかでも歌ってそう。
英語版デモ。
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