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☆だんだらだらだら☆

記憶力がないアラサーのブログ。演劇/ミュージカル/宝塚/歌舞伎/映画/美術館/フィギュアスケート/JAZZ/大阪万博/食べ歩き/カメラ(OM-D E-M10 mark2) などの話題。

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2016.08
07


16:06
続いてこれも随分昔の話ですが。。。
上半期1番思い入れのあった作品なので、今更ながら上げます。
書きたいことが多すぎて支離滅裂。

まず、RED→GREENの順で観ました。
個人的な観劇順の正解はR→G→Rだったかと思います。
PR的には簡略化されて、
R、GそれぞれHAPPY、SADエンディングと称されていましたが、
それは語弊があって、Rは原作に近いもの(第二次世界大戦前に出版された)、
Gはその後ベルリンで何が起こったかを知る現代の私たちから見た前時代の考察、というコンセプト。
(もしくは、R、Gは、ミクロ・マクロ視点っていう表裏一体のとらえ方もできるかもしれない。
人生のターニングポイント、数奇な巡り合わせ、それでも生きていくこと、
押し寄せる時代の潮流、ダイバーシティの死…)

わたしにはGの光枝さんは現代にいて、
モルヒネを打ちながら過去の幻影を見ているように見えました。
(Gの演出に関するトム・サザーランドのコメントはこちら

以下、長くなるので、隠します。
キャスト的には、
REDチームのオットー、男爵、プライジングの熱量がぶっちぎっていて、
さらにはグルシンツカヤ、フレムシェンの煌めきも相まって、
話が進めば進むほど、ドラマの密度の差は開いていくばかりでした。
たまにある、だから舞台って面白い!っていう現象はまさにこれ。
単に、歌が上手いとかスキル面では説明がつかない、
今そこにいる煌めき、空気が動く躍動感をめいっぱい感じた。

成河オットーは賤しいくらいにぶっちぎって命に、お金に執着している。
とってもステレオタイプ的なユダヤ人。
常に我が我がという感じで人の話も聞かない。
そんな彼が男爵との仲を深め、
男爵がオットーの財布をポケットから出したとき、
はたと気づきながらも、
でも、今度は自分が、と言わんばかりにお金を差し出す。
フレムシェンの妊娠に心から喜べる。
この変わりよう。
対して、中川あっきーはピュアで、
ひとつひとつの経験から命の煌めきをすくい上げていくような。
At the grandhotelはとっても感動的。
あと、役そのものとして気になったのは、
ユダヤ人である原作者があえて瀕死のユダヤ人を登場させてるあたり、
当時の状況を多少なりとも反映し、何か意味を託そうとしてたのかなと思ったり。
息も絶え絶えのユダヤ人は、奇跡的に病が治るわけでもないけれど、
「人生の意味を悟る」というのはなかなかに重い意味だなと思った。

伊礼男爵はひたすらに美しく哀しかった…。
やっと正しい伊礼彼方の使い方を見た。
ラダメスちゃうわ。
全ての仕草が言葉が魅惑的。
男にも女にも人たらし。誰もがこの魅力に陥る。
そして、人が出会い去っていく、
このグランドホテルそのものを体現してるように、
出会ったばかりなのにさよならの予感を宿す影がある。
プライジングに銃口を向けても、
ああ、この人、死んでしまうんだな、と予感がにじみ出る。
ラスト、バラの花束を抱え回転扉から現れた、
永遠に旅立てない男爵の微笑みが忘れられません。
宮原男爵はうーん…。
ミュージカル初出演でこの役はもはや何かしらの罰ゲームにあたるかと。
その中で台詞も滑舌よく歌も聞かせていたのは今後期待です。
ただ、身のこなしは難しいし、特にサスペンダー姿!
あと、歌になると滑舌が甘くなるのが気になりました。

グルシンツカヤは、
草刈さんが、出てきた瞬間から目をひん剥く程のオーラ。
身のこなし、ちょっと手を差し伸べるだけで、空気がふっと動くような。
トゥシューズのシーンは幻想的。
伊礼君との並びはそれはそれはゴージャスで、
部屋で鉢合わせたシーンも巡り合ってしまった感がありました。
二人ともギリギリのところで、弾ける寸前で出会ってしまった感。
歌は酷いんだけど、存在が素晴らしいので、全然帳消しになるレベル。
一方ヤンさんは美しいマダムという感じ。
トゥシューズは履かず、鏡台に向かうという演出。
腕の動きを確認するシーンはあったけど、
逆にあれはない方がよかったかもしれない。
ロマンチックチュチュで出てくるシーンはタイツは履いてるけどシューズは履かず。
あれ、ちょっと違和感ありました。
宮原さんとの並びは、マダムと若い燕という感じ。

プライジングは体格差が面白い。
吉原さんはあの柄で小心者。
嘘はつかないという自分の中での美徳を破った瞬間、どんどん落ちていく。
というか、自分で自分の首を絞めていく。
焦燥感がやがて攻撃性や暴力性に連鎖していく怖さ。
フレムシェンを乱暴、男爵とのもみ合いの緊迫感は、
REDならではのドラマ性を高めてました。
戸井さんは見た目が日本のサラリーマンで、
社長というよりどちらかというと中間管理職。
ビジネス的には割と切れもので、
でも、かなり傲慢で、保身のためなら何しでかすかわからない、
結構会社にいるタイプじゃないかなと思った。

フレムシェンは真野さんはとにかく出てくるだけで場が華やぐ。
出たとこ勝負な雰囲気がある、
どちらに転ぶかわからない危なっかしいフレムシェン。
歌は残念でしたが(声も出てないし、いかにもアイドル風の歌い方)、
周りとのバランスがよく、やはりREDな人でした。
昆ちゃんはさすがにこなれ感がある。
歌は音域にあってなくてやや手こずってたけど、それでも。
昆ちゃんはもっと賢くてたくましくてしたたかで世渡り上手そう。
プライジングに襲われてても何とか切り抜けられるんじゃないかとすら思うくらい。

ラファエラは土居さんの方がだいぶこじらせてた。
伊礼君のジャケット着てタバコ吹かすのが何とも。
成りきれない「相手役」というポジションと嫉妬や劣等感や。
樹里さんはパキッとしていて陽性イメージが強く、
夢見る乙女感(まるで宝塚ファンのような)、
憧れや将来への淡い期待の方が強く出てた気がする。

スペシャルダンサー(死)は、
チャールストンを無表情ながらみんなに混じって踊ってたりしてある意味面白かった。
衣装がスレンダーな湖月さんにぴったりで、両性的な美しさ。
ただ華のある人なので、最後のデュエットダンスが目立ちすぎる。

ホテルマン達は狙ってかどうかサイボーグのようで、人間味が薄い。
その他のG、R共通のアンサンブル男性メンバーも芝居が弱く、そこは残念でした。

次に演出。
小劇場で活躍するトム・サザーランドらしく、シンプルなセット、衣装。
デスクや椅子を上手く使って、極力ミニマムに。
男爵が撃たれた後、他のキャストが赤い花びらを投げるのが美しくて。。。
(グルシンツカヤだけが白いバラの花びら)
『タイタニック』もそうだったけど、
大箱のグランドミュージカルになり切れない良質のミュージカルを、
掬いあげるのに長けているらしい。
そして、その才能が、東宝やホリプロに追随するけど、
まだ作品規模的に肩を並べられていない梅芸とマッチングする面白さ。
こういうプロダクション規模(そして東宝・宝塚と一くくり)の作品は賞レースとは無縁なのだろうけど、
めげずに、これからも続けていってほしいなと思いました。

RとGの違いはちょっとしたきっかけとか小道具使いとか台詞とか、
数えきれないほどあると思うのですが、大まかに。

Gではまずオープニングからナチ宣伝用の音楽がガンガンに流れる中、
スペシャルダンサーが幕開きを告げ、既に不穏な雰囲気。
客室のラジオからはヒトラーの演説が流れ、
オットー達がホテルを発つ門出では、
ホテルの従業員たちがドイツ語で
「Some Have, Some Have Not」を荒々しくリプライズして、
客達の荷物やコートやを身包み剥がして、暴力を振るっていく。
積み重ねられた荷物や衣類は遺体の山すら思い起こされたり。
難産だった妻がようやく息子を出産したと
吉報を受け取ったフロント係のエリックは赤ん坊を抱いて現れる。
そんな彼に、宿泊客たちは思い思いに奪われた衣装を施す。
笑顔で送り出す。
足早に客席を駆け抜けていくエリック。
Rでは皆が笑顔で旅立っていった(客席降りで)このシーンが恐ろしい結末に。

Some Have, Some Have Notは冒頭でも歌ってたし、その片鱗は既にあった。
心の奥底の不満は、ついに沸々と煮え滾って爆発する。
ヒトラーのエネルギーに満ちた演説に呼応して。
エリックにそれぞれ自分の持ち物を手渡して旅立たせるのは、
希望を託すということなのか。
ようこそ人生へ。
てばなしの祝福だけではない重みをもって迎え入れ、見送る。
私は全く気付いてなかったのですが、Rはチップを渡し、
Gはチップを出し惜しみしていたんですね…。
となると、Gの客達はむしろこの状況下でしか他人に報いないという
皮肉めいた最後の美徳なのかもしれない。

スペシャルダンサー(死)に向かってハイルヒトラーで終わるGは、
グロテスクでとっても直裁的。やりすぎかもしれない。
RチームでこのGの演出は無理だったろうと思う。
Rは芝居の密度が濃すぎて、明らかにtoo muchになって、ただの蛇足になってたと思う。

ふと、キャバレーを思いだす。
あれもラストの解釈が色々あって、
映画版では客席を埋めつくすナチ将校達が舞台セットに映り込むのを静かにパン。


アラン・カミングがMC役のバージョン(いきなり再生されます)は、MCが衣装を脱ぐと収容服でした。
そして、藤原紀香主演 小池修一郎演出版では、
クリスが何もわからないまま戦争に駆り出され、何も理解しないまま死んでいく。
キャバレーとそしてサリーとの恋が全てだった小さな世界から放り出されて、
というか、外の世界で何が起きているか知ろうとせず、
知らないまま死んでいった。
(のりかキャバレー、キワモノ扱いされてることが多いのですが、
小池先生の演出作品の中でかなり上の方にいくと思います)

グランドホテルは世界の縮図。
いろんな人種、状況下の人が蠢き、そして、やがては去っていく。
と同時に、外界を遮断した、かりそめの小さな世界でもある。
これを思うと、逆にREDが恐ろしい。
彼らはただ、「知らない」だけだ。
待ち受ける未来は変わらない。

日本含め、ヘイトが渦巻く世界。
不満や憎しみや優越感は簡単に煽られる。
それは攻撃的な言葉ではなく、最後のヒトラーの演説のように、
よりよい未来、や、子供、笑顔を連想させるものでしょう。
そして多様化したメディアに、より巧妙に練りこまれて、
美しいイメージで訴求するでしょう。
で、わたしたちは「知らない」まま新たな世界が到来しているんだろうな。

…何か、色々考えてしまう。
暗くてすみません。
でも、考えなければいけない時機にはきているのだと思う。


***
ちなみに、youtubeで見ていると、
トミー・チューン版は、色んな人たちが交差して去っていく、
オットーたちの人生模様も、ある1コマに過ぎず、
今日もまた、回転扉は回り続け、人生は巡っていくというイメージが強い。

トム・サザーランド版は、『タイタニック』にも通じる「門出」「旅立ち」のイメージが強くて、
彼らを見送る温かな目線があった。
あと、GREEN版は時代性をぐっと前面に出しているので、
一番最初に書いたように、現代から過去への省察をこめた眼差し。
でも、そこに投げかけた眼差しは、トムのコメントにあった通り、現代の我々へ跳ね返される。
人生とは。この時代の「門出」、行く末は。


***
宝塚版は、やはり、たまきちが男爵!
うら若きトップスターのお披露目には、渋すぎるくらいの硬派な作品。
でも、オーソドックスでスケール感のあるたまきちにはぴったり!
トミー・チューン版ということで、これもまた楽しみです。
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