一言で言うと、普通の作品でした。。。
今の宝塚でやるとこうなるだろうなぁ…という想定内の「ローマの休日」。
クラシカルな世界観はほぼなく、ポップで漫画的なキャラクター達をちらばせ、賑やかに。
もともと大箱でやるには役がなさすぎで、しかも複雑な話ではないので、
これだけの出演者をメリハリをつけてコントロールするには、
そういうアレンジしかなかったんだろうな、と、思いつつ、
ドタバタ感が前面に出て全体的に幼稚な印象。
美容師のマリオやアン王女を探す大使や将軍達、ジョーが働く新聞社、街の人たち、
それぞれを膨らませて、ジョーとアーニャを取り巻く人間愛みたいなものは出ていたけれども。
演出的には目新しい部分はなく、盆回しもセットも映像もいたって普通。
条件が異なる三都市の劇場でそれぞれベストな形で上演するのは難しかったのか、
少なくとも梅芸の2階から見ると、舞台奥までがらんと見えて寂しいか、幕前芝居か、
ほぼその二択で、せっかくのうきうき感が削がれる。
舞台転換的に面白味がないっていう意味以上に、
絵的にぐっと浮かび上がるシーンがないっていうのは、キツい。これは、アーニャとジョーが生涯を通じて何度も回想するであろうシーンの数々のはず。
(そもそもこの作品自体がふたりの思い出の宝箱を覗き込んでるような)
そう考えると、漫画的に誇張されたキャラクターも、
愛すべき愉快な仲間達として見えてくるのだけど、
そのまま一瞬一瞬をそっくり閉じ込めたくなるような、幸福感、高揚感のあるシーンが、
芝居的には表現されてるのに、絵的に叶ってないのが残念でした。
それは映画をそっくりそのまま再現してないやん!という意味では全くなく、
舞台版として舞台ならではの手法で描ききれてないという意味で、です。
アンの夢だったはずのナイトクラブもびっくりするほど垢抜けない…。
誰もが知るラブストーリーの超古典を、なぜ今このタイミングであえて上演するのか。
宝塚版へのリメイクという部分だけで見ると、あまりに凡庸で、その意義が感じられない。
むしろ、今の雪組で、という部分が大きいのでしょう。
アン王女の咲妃みゆさんが、瑞々しく軽やかで、良い感じの現実世界からの浮き上がり方。
いつも通り「声」がいい仕事をしていて、愛に溢れたユートピア的世界を嫌味なく昇華してくれる。
一方のちぎジョーは程良くくたびれていて、現実世界に沈みかけながらもがいている。
まさに、「ままならない」人生を生き抜こうとする者。
相変わらず二人の相性がいいです。
出会いのシーンとか、パジャマ姿でベッドの取り合いとか、
いかにもラブシーンっていうんじゃない…
こういうやり取りの積み重ねだよ!(急に声高)
各々の芝居力だけじゃなくて、トップコンビの関係性が投影される部分でだいぶ変わりますよね。
この作品は特にそれがキモになっていて、
この空気感がないと、へぇー…以上!みたいなので終わってる。
正直この作品の出来を考えると、この二人だからこそ成り立った、と言っていい。
俺様キャラとか頭ぽんぽん的な男子とか、学生時代は、ほぉ!と思ったけど、
いざ社会へ出ると、あ、はいはい…としか思わなくなった自分がいる。
ちぎは、対等な感じがいいですよね。
同じ目線で想い合える、みたいな。
幸せを願いあえる、お気持ちがにじみ出る(あれ?)間柄。
それこそ「人々の友情」を信じ、一個の人間として(男女っていうより)心を通い合わせる。
大人のファンタジーにふさわしい男役、だ。
それはつまり、
OLが安心して萌えられる男役。それはつまり、
上司にしたい男役一位(たまやん調べ)
役替りの二人も面白い。
ジョーの相棒アーヴィング、月城かなとさんのスペックに改めて目を剥いた。
トップコンビと堂々と渡り合っている。ヒゲ面にはさすがに無理がありすぎて、
フランチェスカ(星乃あんりさん)に尻に敷かれてる可愛さが際立つ。
それでも、男役らしい渋めの声に、
立姿も美しく、歌にもしっかり気持ちがこもってて、末恐ろしさしか感じない。
マリオの彩凪翔さんは、「TOP HAT」かと思うイタリア人キャラ。
細かな工夫を重ねつつ、潔く振り切ってやってた。
***
「ローマの休日」といえば、大地真央ミュージカル版も一度見てみたかった。
真央さまとゆういちろうがローマを散策するなんて…。
想像しただけで手に汗握る。ストレートプレイ3人芝居版は、
しょぼいと思いきや工夫しまくって、しみじみと濃密な人間ドラマに。
赤狩りでハリウッドを追われた映画版脚本のトランボの境遇をジョーに反映させたり、
3人ならではの面白いアプローチで、ジョー、アン王女、アーヴィングの人物像を深掘りしてた。
(めっちゃいいタイミングで、今
トランボの映画をやっている。)
…という感じの『ローマの休日』でした!
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