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☆だんだらだらだら☆

記憶力がないアラサーのブログ。演劇/ミュージカル/宝塚/歌舞伎/映画/美術館/フィギュアスケート/JAZZ/大阪万博/食べ歩き/カメラ(OM-D E-M10 mark2) などの話題。

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2017.01
08


22:06
今更ながら、感想をアップします。
昨秋の思い出。。。
まず、キャストから。
エリザベートは2回とも花總まり様で観ました。
歌は、地声がうんと強くなり、危なげなく歌いこなしていた。
(でも、エリザガラでは娘役声であえて歌ってた…!恐ろしい子…!)
芝居は、よくも悪くも、お花様だった。
美しいプリンセスシシィ。
姫役者=エリザベート役者ではないんだなと痛感した。
前半の少女時代が「40代に見えない!可愛い!」というところがハイライトで、
何故か後半の印象が薄く、
2幕冒頭のキッチュで暴露されるエゴの部分が見えてこない。
「私が踊るとき」も超人的な笑みをたたえていて、
何のブレも感じさせずひたすら強かった朝海オスカルを思い出した。
「生」や「死」という部分よりも、「美魔女の一生」的な安っぽさが先立つ。
と同時に、マヤさんやオク・ジュヒョンさんみたいに、
声だけじゃなく我も強そうなヒロインは日本的にはNGだろうなと思った。
「私は私だけのもの」と高らかに歌い上げで芯の強さはあるのに、
同時に、可愛くて儚げな線の細さを求めるんだなぁ。
それは男性のみならず、女性も。
その「強すぎず弱すぎず」なジェンダー観が、絶妙にお花様にはまってた。

トートは城田優さん、井上芳雄さんどちらも観ました。
よしおトートは、
よしおの持ち味であるはずの清潔感やノーブルさが仇になって、
「宝塚の何回目かのトートにいたよね、こんな感じの人」みたいな、
とても既視感のあるトートで、オリジナリティは感じられなかった。
トートは、ハッタリというか、
ひたすら人ではないという雰囲気勝負なところがあるから、
繊細な芝居力を持つからといって有利なわけではないんですね、と改めて。
歌も同じくで、「私が踊るとき」や「愛と死の輪舞」辺りの端正な曲はさすが。
逆に、「最後のダンス」なんかは、のっぺり聞こえてしまう。
最後のシャウトも普通のファルセットで、むしろお行儀の良さが出てしまってた。

城田トートはそれはもう、まさに「この世のものではない」美しさ。
各国どのバージョンにも勝る招聘感というか、2次元感。
キャラ的にも人外感を出したかったのか、
あんなに美しいのに、役作りの方向性が「得体の知れないもの」だった。
時々気色の悪い奇妙な動きをするのが、
仮面ライダーでモンスターに体を乗っ取られた人間っぽい。(たとえが雑)
この美しさはあくまでもエリザベートの幻想が生み出したもので、
その仮面の下には、より気味の悪いグロテスクな「死」がいるのかもしれない。
歌は、オープニングの「エリザベート!」をハイトーンで頑張っているのが印象的。
(逆に言うと、オープニングが一番の爆発力で、それ以降がトーンダウン)
声色を変化させつつ、緩急をつける。
けど、たまに声色を変化させすぎて、土井たかこになる(1幕の闇広とか)。
ちなみに、2幕のドクトルゼーブルガーは老人風に声色を作り込んで、
「ぶらり途中下車の旅」(滝口順平)になってた。
面白くてみんなに言いふらしたのに、誰にも賛同を得られなくて愕然。
(いつもわかってもらえない微妙な目のつけどころ)

フランツ(田代万里生さん)は、頑張って経年を表現しようとしてた。
ただ、どうしても華奢な体格なので貫禄が出ず、
メイクだけがアンバランスに超老けなので、
ごきげんなハロウィンの仮装みたいになっていた。
演出のせいもあるのか、とにかく存在感が薄い。
エリザベートへの愛情やゾフィーとの関係性の変化みたいなものが見えづらい。
ただ、「最終答弁」のシーンに全身全霊をぶつけているのか、
感情を律してハプスブルク家を背負う皇帝ではなく、
愛する者を救うべく一人の人間として熱く心荒ぶらせるのが、最高。
ここのトートとの掛け合いと、繰り返す時の円環の中で、
何とか今度こそはエリザベートを救おうとするフランツの姿は、
今回一番グッときたポイントかも。

ルキーニは山崎育三郎さん成河さんの両バージョンで観ました。
育三郎ルキーニは、
高嶋兄と、何故か、半沢直樹の大和田常務を混ぜたような感じだった。
セリフの調子、表情、動き、全て考え抜いた渾身の「型」に見えた。
成河は、とってもポエティックだった。
彼が言う「愛」や「グランデアモーレ」は何故か高校演劇っぽいフレッシュさがある。
裁判官をおちょくるためじゃなく、心の底から信じ切ってるからなのか。
静かに狂っている、真の狂人だった。
小柄で目立たないのがちょっと残念だけれど、
自分が芯になる場面以外でも、舞台上を自由に泳いでいた。
物語世界に馴染みつつも、またぷっかり浮き上がる、
ルキーニという役柄を感覚的にしっかり掴みきっているようだった。
惜しいのは、どうしても歌になるとボルテージダウンしてしまうこと。
滑らかな声でうまいけど、まだまだ余裕がなく、ボリュームもうひとこえ。
「計画通り」や「ミルク」はさすが、育三郎がこなれていた。

ルドルフは古川雄大さん。
相変わらず沖田総司のように、顔面蒼白で目を血走らせてた。
踊ると一気にアイドル風味。
ゾフィーは、涼風真世さん、香寿たつきさんで。
かなめさんは、気品高い。
美しく、若く、エリザベートと美魔女対決っぽい風情で、
女の争いの側面が強くでた気がした。
たぁたんは、登場した瞬間から、場がぴりっと引き締まるような。
寿ひづるさんとも共通する、うまく説明できない、あの揺るぎない存在感。
後半の老け芝居がちょっと作りこみすぎ?

ルドヴィカ/マダム・ヴォルフ(未来優希さん)は迫力あり。
でも、「ミルク」の民衆が一番良かったりして。
正直、今回マックス(大谷美智浩さん)と、
革命家たち(角川裕明さん、広瀬友祐さん、安倍康律さん)が全くよくなかった…。
マックスは、プリンシパルじゃなくなるってこういうことなんだね、とまざまざ思い知らされた。
革命家たちは芝居がバラバラでかみ合わない。
あと、時系列的には「1789」よりこちらが先だったので仕方ないとはいえ、
広瀬くんをこの立ち位置でわざわざ出すもったいなさ…。

あと、目を引いたのは、
ゾフィーの死の場面で、
ゾフィーが手放した杖を手首のスナップを効かせて、
優しくキャッチしてくれるトートダンサー乾直樹さん。
表情にも人情味が見えて、優しいおにいさん。
石原絵理さんの顔芸は、もうどのシーンも本当に最高。
DVDにもしっかり写っていて、うれしいです。
可知寛子さんのマデレーネ、色っぽい!
原宏美さんのヘレネの「変なドレス、変なヘアー」っぷり、吹いた。
キャスト周りで気になったのは、以上です。

というわけで、
歴代最高の『エリザベート』と呼び声の高い、東宝新演出版でした。
キャパ的にも予算的にも出演者的にも、
日本のミュージカル界のリーディングカンパニー満を持してお届けした渾身の一作ですよね。
と、わかっているのに…びっくりするくらい笑えた。

旧演出版のエリザベートが、
梅雨時に寺の墓地から這い出したような湿度100パーセントで、
電飾もがちゃがちゃしてて、
もうとにかく美しくなかったのに対して、今回は、湿気20パーセントくらい。
だいぶカラッとした。
左右の花道には古びて歪んだ装飾。
あくまでもこれは既に滅び去った世界だと思わせてくれる。
舞台中央には、斜めった大きい棺が3つほど。
中から誰か出てきたり、通路になったり、シーンに応じてフォーメーションを変えたり。
あまりにでかいので、前方のアクティングスペースが狭まり、
舞台の奥行きがなくなるのがもったいない。
それに、これ自体背も高いので、この上での芝居となると、
かなり見上げる形になって、前方席からどうも舞台全体が美しく見えてこない。
おまけに、棺同士の微妙な隙間を恐々渡るキャストが気の毒に見えた。
あと、この棺、実は色々な機能付き。
「私だけに」で、棺からすべり台みたいな物体が立ち上がった。
シシィがよじ登ろうともがくけど虚しくずり落ちる。
やりたいことはわかるけど、
それだけのために歌の最中にウィーンって音しながら出てくる可笑しさ。
SASUKEが始まるのかなと思いましたよね。
(まさか思い出すとは思わなかった懐かしの番組)
しかも、ご丁寧にロゴ付きなのが余計にチャレンジ感が出てた。

そう、確かに、演出が変わっていた。
ウィーン版は、当然、ハプスブルク家の歴史がより身近にあるお客さん向けだから、
たとえトートというファンタジーが出てこようが、歴史劇として作られてる。
(ルキーニを通じて現代のシニカルな眼差しを注ぎながら、19世紀の世界を呼び覚ます。
エリザベートの人生と死は没落していくハプスブルク家、
世界大戦で搔き消えてしまう19世紀ヨーロッパそのものを象徴しているから)

日本では、その前知識がなく、
しかも、宝塚で初演されたこともあって、ごりっごりのファンタジーとして潤色されてきた。
ただ、小池先生的には、
エリザ日本上演も20周年を迎え、ある程度内容が浸透したということもあって、
より歴史劇的に演出し直したのがこの新演出版らしい。
長くなりましたが、それを聞いて、は?と思いました。(こら)

オープニングからざっと振り返ると、
何故かルキーニが出る前にトートダンサーが出てきた。
あれ?
これって時間の環に苛まれるルキーニの話じゃなかったっけ?
のっけから、ファンタジー!
生き絶えし者どもはやっぱり棺から出てきた。
そして、トートは大きな羽を羽ばたかせながら飛んできた。
しかも、城田くんは巨体ゆえか、めっちゃ羽ばたく。
死者たちによる劇中劇ということをはっきりさせたいのか、
ルキーニが死者たちに呼びかける「さぁ、はじめよう」はそのまま。
みんな真面目だからちゃんと返事する。

トートやルキーニも若くなって下手に踊れてしまうからか、
のっけから、正面切ってアイドル並みに踊る。
そう、とにもかくにもみんな踊らにゃそんそん!とばかりに踊り狂う。
トートダンサーたちは、
「愛と死の輪舞」では、ひっそりと組体操の技を繰り出してた。
「最後のダンス」は、出だしで珍しく動かずに固まってるなと思ったら、
指だけぴろぴろ動いてたり、本当に油断も隙もない。
一言でいえば、存在がうるさい。(はっきり言う)
宝塚版でも東宝版でも常々思ってきたけど、今回史上最強。
片翼のダンサーがただ横切るだけでも絵になるのに。

きっと、気鋭の振付家なんだろう。
アクティングスペースを埋め尽くす装置をバックに、「余白」なく振り付ける。
舞台上にやたらめったら人がいて、うごめく。
「わたしが踊るとき」も、精神病院も。
エリザベートとトートの危ういひと時も、エリザベートの孤独にだって。
常にバタバタと人が介入する。
それぞれの持ち場で勤勉に仕事をした結果で、
皮肉も込めて日本人らしいなぁと思うけど、
この「過剰さ」たるや。

歴史劇、とか、ファンタジー、とかいう以前に、物語を感じなかった。
予感も余韻もなく、ただ全てが慌ただしく過ぎ去っていった。
全場面、全部盛り状態で、
何故小池先生に削ぎ落とすという選択肢がなかったのか、本気で謎。
せっかくお金かけてやってるのに、なんかもったいないし、
とにかくことごとくスマートじゃなくて、ダサかった。

役者を信頼していないのかな、とすら思った。
さすがにそう思わせるのは致命的だと思う。

***
でも、まぎれもなく、
これが今、日本一のプロダクションが作る、
最高レベルのミュージカルなんだ、
(そして、確かにお客さんのウケもいい!)と自分に言い聞かせる。

ミュージカルに対する「格」と「質」の考え方が、
私自身だいぶ変わってきたのか、単に感受性が鈍ったのか。
「エリザベート」DVDを観ながら、考えてる。(結局持っている)
(相変わらず石原絵理さんが目をひんむいている…)
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